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[真砂沢通信]はこちら
 立山の麓から 2018-2019

山里の暮らしは山菜や野生動物など直接の山の恵みと大きく関わりながら続いてきました。
今は少なくなりましたが、山で獲れた動物の解体なども日常の中の風景でした。
このコーナーでは狩猟で捕獲した動物の解体場面などが出てきます。
山里の暮らしや文化の一面を感じていただければと考え、そのままお伝えしています。
現代における狩猟という行為や動物との関わり方につきましては色々な考え方があると思いますが、どうかご理解の上、ご覧いただければ幸いです。




6月3日
5月24日から25日にかけて、小屋の様子を見に行ってきました。
小屋のある台地の積雪量は、雪崩のデブリがたまっているためか、昨年よりも1メートル程多めです。
幸い小屋は倒壊することなく、大きな雪の圧力に耐えていました。

今回は二日ともよく晴れ、気持ちの良い山行にもなりました。
紹介されることの少ないこの時期のこのルートの様子を、写真でご覧いただきたいと思います。

この時期程の量ではありませんが、これから先、夏の前半は雪も豊富に残り、「岩と雪の殿堂」の雰囲気を最も感じられる時期です。
ぜひ剱岳へ、真砂沢ロッジへお出で下さい!。


みくりが池では雷鳥が出迎えてくれました。

雷鳥沢の登りもまだ一面雪で覆われています。

見下ろす室堂平も真っ白。

別山乗越を越え、三田平から剱岳を仰ぎます。


剱沢小屋を過ぎ、剱岳を仰ぐ角度も急になってきました。


剱沢上部の広い雪の谷を下ります。
目の前には源次郎尾根、八つ峰の岩壁がそびえ、視界を圧する迫力です。


間もなく長次郎谷出合。
雪の質も安定しており、下りはあっという間です。


日も傾いてきました。


間もなく小屋到着!。
中央の小高い台地が真砂沢ロッジ(が埋まっている場所)です。


雪崩捜索用のゾンデで小屋の入口位置を推定、試掘溝を掘りながら入口を探します。
GPSなんぞには頼りません。野生の勘あるのみ(笑)。


ビンゴ!

さらに掘り下げていきます。
地表まで約3メートル半ほどありました。 
保護用の板を外し、7か月ぶりに空気を通します。

大きな雪の圧力や雪崩に耐えて、持ちこたえてくれていました。

雪の上でテントを張り、1泊。
谷間ですが空は広く開け、景色は雄大です。

小屋の東側、剱沢下流方向もまだ雪で埋まっています。

しかしあちらこちらで沢の流れが顔を出し、山の春を告げています。


川岸の台地ではミネザクラが花を付けていました。
毎年ですが、この時期が最後の花見です(笑)。

剱岳も長い雪の季節をようやく終え、芽吹きの時期を迎えています。

三の沢出合。
広い雪の谷に5月の強い 日差しが降り注ぎます。

三の沢。
盛大なブロック雪崩が出ていました。

三の沢出合にて。

昨日掘った入口を埋め戻し、小屋を後にします。
これから別山乗越まで標高差1,000メートルの登りです。

真砂沢

別山沢


ナムの滝付近。

ナムの滝は過去に何件も踏み抜き転落事故が起こっています。
今回は雪の上を抜けられましたが、すでに左岸右岸両側にクラックが見られ、
今後要注意です。

長次郎谷。
よく知られているように、近代登山における剱岳の初登頂ルートです。
この時期は雪の白さもあってか、谷の雰囲気も明るいですね。

長次郎出合付近を登る。


平蔵谷。
右上に本峰頂上付近も見えます。

八つ峰を後ろに、平蔵谷出合付近の登高。

剱沢上部は開けた気持ち良い谷です。
ただ、暑い!
雪の凹面鏡の中にいるように、四方八方から太陽光の反射を受けます。

雪渓上を雨水が流れた跡でしょうか。
ルンゼに詰まった雪に縦溝がついています。

ようやく三田平、源頭部まで登ってきました。
これから後は疲れすぎて写真がありません(笑)。
下界まで下る予定が果たせず、天狗平山荘さんでお世話になりました。
佐伯賢輔さま、かおりさま、スタッフの皆様、ありがとうございました。


5月1日
ツイッターでもお伝えしてきましたが、ようやく山里にも遅い春が訪れています。
重複しますが、駆け足で振り返ってみました。
悪天候で予定より1日遅くなったものの、4月16日には立山黒部アルペンルートが全線開通しました。
下界には春が訪れていますが、山の上はまだまだ冬の色を濃く残しています。


4月30日
称名滝はまだ多くの残雪に囲まれています。
芽吹きも始まったばかり、モノクロームの風景の中に少しだけ淡い色彩が入ってきました。
雪解けの水を集めて水量は豊富、悪城の壁には幾本もの滝がかかっています。
藤橋付近まで下ると河原は一面の萌黄色。
山の春の最前線、間もなく新緑が斜面を駆け上がっていきます。



4月27日
この時期としては強い寒気が入り、山は一日中雪、高原バスも除雪をしながらの運行です。
この悪天候で雷鳥沢では気象遭難が起き、残念ながら死亡事故となってしまいました。
寒気は思いのほか強く、山の上ばかりではなく、下界でも雪、 立山駅前では葉桜が雪を被り、自宅のシバザクラにも薄っすら雪が積もりました。




4月23
室堂への高原バスの車窓から。弥陀ヶ原(上)、剱岳遠望(中)、立山主稜線(下)。




4月20日
快晴の室堂、観光客の多くは海外からの方でした。


4月19日
多くの観光客で賑わう室堂ターミナル。


4月18日
山里にも遅い春。芦峅寺集落でも桜が満開、芽吹きの色が青空に良く映えます。




4月13日
立山町平野部から。桜のピンクと若草、残雪、青空・・・、春色の美しいコントラスト.


4月6日
立山町の平野部では大分桜の開花が進んできました。
木によってばらつきはありますが、全体では三分咲きほどでしょうか。
田んぼもあちこちで田植えの準備が始まっているようです。
芦峅寺では桜はまだ蕾(写真下)、春はすぐそこですが、下から上がってくるのをもう少し待つことになりそうです。





4月2日
昨日から雪が降り続き、20センチ近く積もりました。
芦峅寺集落内も冬景色に逆戻り、田んぼエリアは一面の雪原です。
山と下界の境目の集落、この時期でも時々冬が山から下りてきます。





3月26日
積雪調査の仕事で室堂に行ってきました。
周辺の山々も含めて積雪量はずいぶん少ないようですが、直前まで降雪があり、新雪に覆われた美しい眺めの中で作業をすることができました。
山の上はまだ冬の厳しさを残したままですが、下山した信州側山麓は春の空気に包まれ、暑いくらいの陽気です。

真砂岳から雄山の稜線も真っ白 

室堂平の広い雪原の向こうには大日連山

剱御前から真砂岳。稜線付近は例年よりハイマツの露出が多いように見えます。

後立山連峰

黒部平から黒部源流の山々

帰り道、雪解けの流れの向こうに白馬三山を望む


3月19日
ご近所から古いスキー板とストックを頂きました。
左は古いゾンメルスキー、中央は合板の先端突起付きのもの、右のストックは丸竹製です。
どちらも滑走面にシールが遺っており、金具はフィットフェルトです。

古くから山と関わり、近代登山の発展に深く関わったガイドを多く輩出した芦峅寺では、古い貴重な山道具を目にする機会が多くあります。

芦峅寺のスキーは、剱岳平蔵谷に名を残す佐伯平蔵によって大正期に伝えられたと聞いています。
その後盛んに用いられるようになったようで、昭和初期には立山の稜線で銃とスキーを担いだ猟師の写真も遺っています。
レルヒ少佐が1911年に日本に初めて本格的なスキーを伝えてから20年程の頃です。

現代の芦峅寺の猟師も、冬場は猟にスキーを使います。
スキーの下手くそな私にとってはカンジキほど小回りは利きませんが、やはり深雪の中での機動力は桁違いです。
フィットフェルト金具も一部まだ現役、ドカ雪の時にちょっと家の裏まで・・・という時も長靴にスキー(シールは貼りっぱなし)をひっかけて行けるのでとても便利です(写真下)。




3月18日
夕方、芦峅寺姥堂跡からの眺め。
姥堂基壇の向こう、まだ真っ白な立山の上に満月前の大きな月がかかっていました。



3月17日
自宅の周りでは雪が融けたところから芽吹きが始まっています。
低温と雪の圧力から解放される喜びは植物も我々雪国の人間も同じでしょう。
山肌が白から茶へ、そして萌黄へと色を変えていく様子は、命が蘇っていくのを見るようで毎年心動かされる眺めです。



3月16日
仕事帰りの立山大橋の上からです。
下流を見下ろせば夕空の色を映した常願寺川の流れ、振り返って見上げれば夕日に染まった大日岳が美しい姿を見せていました。




3月15日
昨日とは打って変わり、今日は良く晴れて暖かい日になりました。
昨日までの雪もどんどん融けてあっという間に消えていっています。
自宅近くの山の斜面でカモシカが餌を食べていました。
暖冬、少雪だったとはいえ、厳しい季節が過ぎ、雪解けの季節を迎えてほっとしていることでしょう。



3月14日
雪です。
結構積もってます。
やはりまだ3月、まだまだ冬タイヤも交換できません。




3月10日
3月1日からは県内の多くの河川で渓流釣りが解禁になりました。
なかなか時間を作れず川に立てずにいましたがようやく昨日今季初釣行、1時間ほど竿を振ることができました。
岩魚が1尾だけでしたが、32センチの良サイズ、まずまずのすべり出しです。
水温も低く、魚の活性はまだあまり高くありません。
私は毛鉤釣り中心(主にフライ(西洋式毛鉤)、時々テンカラ(和式毛鉤))ですが、この時期の近場の川では水面に浮かせる毛鉤には魚があまり反応しません。
軽快ではないのですが、錘をかませたり、鉛線を巻き込んだ毛鉤を使う深めの水面下の釣りになっています。



3月9日
毎年3月9日は芦峅寺の雄山神社で山の神のお祭りが執り行われます。
未明から集落や氏子の代表、我々山小屋関係者をはじめ芦峅寺周辺で山に関わる人達が集まり、今シーズンの山の安全や豊かな山の恵みがあることを願い、山の神に祈りを捧げました。
冷え込んでとても寒い朝になりましたが、見事な快晴、芦峅寺集落から見上げる立山連峰も真っ白な美しい姿を見せてくれました。
今シーズンの皆様の山も安全で楽しく、豊かなものになりますよう、お祈り申し上げます。







3月8日
今日は久々に少し積雪がありました。
山も白さが一層際立っているように感じます。
山小屋等を対象にした衛生や消防についての講習会も開催されました。
今年も山のシーズンが近づいてきたことを感じます。





2月27日
今シーズンは富山県は異常な少雪。
立山黒部アルペンルートの入口、立山駅周辺もご覧の通りの状態、周辺の山にも積雪があまりありません。



2月24日
この冬は晴れの日がいつもよりも多くなっています。
今日の夕方も自宅から見える越中沢岳方面がきれいに染まっていました。



2月22日
立山・剱岳方面遭難対策協議会の訓練です。
富山県警山岳警備隊の隊員の方々の指導も受けながら、積雪期の救助活動などについて学びました。




2月20日
北アルプス山小屋協会の総会に参加してきました。
山小屋で働くことを希望する人の減少、輸送費などの値上がりなど、多くの課題が提示されました。
少子高齢化や働き方の変化といった一般社会での変化に加え、山の世界でも登山人口の減少、登山スタイルの多様化、外国人登山者の増加といった大きな変化の時期を迎え、山小屋も大きな転機を迎えているように感じます。
山をどう登るのか、山になぜ登るのか、山登りとは何なのか、我々山小屋だけでなく、山に関わるメディア、用具メーカーや販売店、そして登山者自身を含めた登山界全体で問い直す転機でもあると思います。
我々も原点に立ち還り、未来を想像しながら山小屋とは何か、という問いかけを続けていきたいと考えています。



2月17日
私が学生時代に在籍しておりました岡山大学山岳部のOB会総会に参加してきました。
参加の方々の平均年齢が高くなってきましたが、ダウラギリX峰(7618m・1975年)、ガネッシュ・ヒマールU峰(7150m・1979年)、トリプラ・ヒウンチュリ(6553m・1986年)の各峰初登頂、ガッシャ−ブルムT峰西稜から初登頂(8068m・1990年)などの記録を作ってこられた大先輩です。
ただ私が入部した頃にはずいぶん部員も減って(全員で1桁台前半でした・・・(笑))活動のレベルもなかなか上げられず、現在では現役部員がいなくなり、廃部となってしまいました。
全てではないと思いますが、大学山岳部の衰退や廃部は全国的にも多いと聞いています。
若い人たちの物事の考え方の変化、山の楽しみ方の多様化など多くの原因があるかと思いますが、新しい時代の中で存在意義を持つ集団として再生して欲しいと願っています。



2月15日
日差しが春めいてきたと思っていたのですが、今朝はとても冷え込みました。
車の窓には、寒い時期に山小屋で見られるような氷の華ができていました。



2月5日
ノウサギ猟を兼ねて近場の熊の冬眠穴の様子を見てきました。
数か所を見て歩きますが、いずれも熊さんは入っていませんでした。
穴の画像がありませんが、冬眠穴については兄弟でも情報を教えない、と言われておりますので・・・(笑)。
冬眠穴は結構危ない場所にも多いのですが、クライミングの装備や技術が役立ちます。
私の技術はへなちょこですが、昔の芦峅寺の熊撃ちの方たちは今のような便利な道具がない中、技術、体力、知恵を磨いてずっと厳しい場所、条件の中で熊を追っていました。
大正から昭和にかけて近代登山における剱岳の開拓期をガイドとしてリードし、その後も南極観測や遭難救助に活躍した山人には、多くの芦峅寺の猟師が含まれていました。
厳しい猟場での豊かな経験は猟師としてだけではなく、トップクライマーとして、極寒地でのパイオニアとしても多くの優れた人材を育てる基になったと思います。。

雪の上に続くノウサギの足跡。どこに居るやら・・・。

杉の巨木にある冬眠穴。幹には爪の跡が残っていますが、熊さんはおらず。 

別の冬眠穴へ10メートル程懸垂下降。

日差しも何だか春めいてきました。


1月30日
少しづつですが、山に入ることのできる時間がとれるようになりました。
今季は猟に出る時間がなかなかとれず、冷凍庫に肉は貯まらず、脇腹にばかり余分な肉が貯まっていましたが、少しは改善されそうです(笑)。
素晴らしい天気、木々の向こうの立山連峰も青空に映えて美しい眺めです。

短時間ですがウサギ猟を行い、幸い獲物がありました。
今回は茶色の毛のノウサギです。
ノウサギは積雪期は冬毛になり、耳の先を残して真っ白な姿になります。
ただ、近年は芦峅寺周辺では目撃したり捕獲したりするノウサギの半数から三分の一程は積雪期でも夏毛と同じ茶色のままです。
以前も冬でも茶色いノウサギが居たと聞いていますが、大分茶色率が高いように思います。
温暖化で冬場の地面の露出面積や期間が増えていることも関わっているのでしょうか。
気になる現象です。

夕方まで山を歩き、ピンク色に染まる立山連峰を眺めながら帰途につきました。





1月28日
今季初めての自宅の雪下ろし作業を行いました。
屋根雪の量が多くなってくると、降雪の多い日は天井裏から梁や桁、柱の軋む音が聞こえ、だんだん襖が開かなくなってきたりします。
今回は積雪量は1メートル程ですが、重たい雪です。
下層の瓦の上30センチ程は滑りやすいザラメ雪の層、今日は気温も高いのでなお滑りやすく気を使います。
傾斜に沿って屋根から雪を流していくのは比較的楽ですが、屋根雪を下ろすよりも下ろしてからが大変な作業、雪の水平移動は非常な重労働です。
下ろした雪はそのままにしておくと翌日にはカチカチに締まって手作業では処理が大変です。
下ろしたらすぐに、軟らかいうちに運んで溝に流していきます。
半日ほどで作業を終えました。





1月27日
ようやく今季初めてのノウサギが獲れました。
現代は自動車でスーパーマーケットに行けばいつでも簡単に肉が入手できる時代ですが、豪雪によって冬場の交通が制限され、肉そのものも貴重であった時代、ノウサギは冬の山里の貴重なたんぱく源でした。
今でも貴重な冬の味覚、雪が積もってからの私たちの主要な獲物の一つです。
複数で追い出し役と撃ち手に分かれて行う行う巻き狩り、単独あるいは少数で山を歩きながらウサギを見つけて撃つ忍び猟などがありますが、険しい雪の山を歩き回るウサギ猟はクマ猟の良いトレーニングになると猟の師匠から教わっています。
この周辺に限らず、ノウサギは後足をくくり、ぶら下げて皮を剥ぐのが各地で一般的なようです。
通常は足首をくくり、足の毛皮は身に残したまま剥いでいきますが、今回は手足付きの毛皮の需要があり、本体の毛皮に付けて剥いでいます。
ノウサギは脂肪がほとんどありません。
引き締まり、発達した後足の筋肉には雪面をものすごい速さで駆け抜けるノウサギの力強さを感じます。




1月26日
昨日とは打って変わり、大雪になっています。
ようやくこの時期らしいお天気と風景です。




1月25日
今日は遠来のお客様があり、富山地方鉄道千垣駅までお迎えに上がりました。
昨日から薄っすら新雪も積もりましたが、天候は晴れです。
雪雲に閉ざされた冬の北陸らしいお天気ではないのですが、美しい山里の雪景色をご覧いただくことができました。



1月19日
今日は良く晴れました。
立山大橋からは大日岳から立山に連なる稜線がきれいに見えていました。
明日からは悪天の予報、少し怪しい雲も見え始めています。
相変わらず積雪量は非常に少ない状態が続いています。



1月13日
今日は芦峅寺集落の新年会です。
多くの住民の方々、来賓の方々と楽しい時間を過ごすことができました。



1月5日
三が日を過ぎ、雄山神社も静けさを取り戻しています。



2019年1月1日
明けましておめでとうございます。
本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
皆様の今年の山が楽しく事故もなく、思い出深いものとなりますよう、お祈り申し上げます。

今年のお正月は天候もまずまず、程よく雪も積もって、芦峅寺の雄山神社祈願殿も参拝の方々で賑わっています。



12月29日
夕方から久々に出猟しました。
幸い獲物があり、マガモ2羽を捕獲。
数日熟成させ、解体します。
今季はまだ熟成保管場所が未整備、やむなく軒下に下げますが、夜間は要注意、肉食の動物が嗅ぎつけてやってきます。
先日はちょっと目を離した隙にテンにヤマドリの片足を盗まれました。
テンの身体能力は高く、2階の軒下など、ここは大丈夫と思って下げておいても、わずかなホールド、スタンスを使い、予想外の経路から攻撃を仕掛け、上手に獲物を持って行きます。
テンの他にもイタチやキツネも来ます。
今回もとりあえず夜は屋内の寒い場所に保管します。





12月28日
芦峅寺の雄山神社では「御年餅」として小さなお餅を、無病息災、家内安全を願ってお正月に参拝の方にお配りしています。
今日はその御年餅作りが行われました。
集落中からたくさんの住民の方が集まり、にぎやかに進められました。




12月27日
ようやく雪囲い終了です。



12月22日
6歳の息子は最近、南極観測船「宗谷」にはまり、紙工作で模型を作っています。
昭和31年(1956年)、芦峅寺からは5人が第1次南極観測隊に参加し、この「宗谷」で南極へ向かいました。
雪に強く、厳しい環境での活動に慣れた芦峅寺の山男は昭和基地の設営などに活躍し、観測の成功に大きく貢献しています。




12月16日
ご近所から大量の廃材を頂きました。
薪が足りなかったので本当に助かりました。
ただ、雪が積もるまでに急いで処理が必要です。



12月13日
常願寺川沿いから見上げる立山連峰です。
平地から一気に屹立し、雪を頂いて連なる姿は相変わらず見事です。
車で出かけ、平野部で現在位置が分からなくなっても、山の形や方角を見ればとりあえず山の麓の自宅へは帰れます(笑)。



12月10日
芦峅寺周辺にもようやく、というかとうとう雪が積もりました。



12月9日
知人からイノシシを頂きました。
「肉」ではなく丸々2頭です(笑)。
下山後忙しく、ほとんど猟に出られずにおりましたので有難い頂き物です。
明日から順次解体作業です。



11月29日
室堂での仕事の最終日でした。
例年よりも少ないですがそれなりに雪も付き、冬山らしくなってきました。

11月いっぱいでアルペンルートも営業を終了し、立山は長く厳しい冬の期間に入ります。
厚い雪雲に覆われ、膨大な量の雪に閉ざされる立山の冬。
いかに機械力を使っても人間の力では簡単に近づくことを許さない厳しさがあります。
冬季の観光開発も議論されていますが、冬の間だけでも本来の立山の姿に戻り、人は春の訪れを待つのが相応しいのかもしれません。




11月25日
ようやくストーブ用の薪の準備にかかりました。
もっと早く取り掛からないといけないのですが、下山後のバタバタで遅くなってしまいました。
我が家は雪囲いの内側に薪を積み上げているので、積雪前に雪囲いができるように急がないといけません。
芦峅寺周辺も早い年は12月の初旬から積雪があることがあります。



11月23日
寒気が入り、ようやく立山山麓エリアのスキー場もわずかに白くなりました。



11月19日
芦峅寺集落内の民家の柿の木でくつろぐお猿たち。
木の上で子供が遊んでいる姿などはかわいらしいのですが、人間の側から見れば集落の畑を荒らし、軒先の収穫物を盗んでいく害獣でもあります。
人間の都合で直ちに「害獣」にしてしまうことへはいろいろな見方があると思いますが、被害はかなり深刻。
被害額というよりも、小規模な畑で耕作されている年配の方々の営農意欲を著しくそいでいるように思えます。
集落内にもそうした農作業が大切な日常の一部になっている方はたくさんいらっしゃいます。
好き勝手にはさせん!ということで対策もいろいろなされてはいますが、お猿だけあってなかなか器用で賢く、手を焼いています。



11月18日
昨夜から知人宅の宴席に招いていただき、黒部市へ行ってきました。
途中の道から見上げる剱岳、真砂沢ロッジからとは、ちょうど反対側から眺める姿です。



11月12日
山の積雪は異常に少ない状態が続いています。
10月上旬と言ってもおかしくない位です。
例年ならば初滑りのスキーヤーの方々がたくさん入山される時期ですが。

11月12日 

11月11日 


11月8日
依頼を受けてご近所のお宅の雪囲い作業です。
しまってある部材を取り出すとカメムシだらけです。
地方名「へくさんぼ」です。
この時期、芦峅寺を含めこの近辺の山際の集落ではヘクサンボが越冬のため大量に家屋に侵入してきます。
夏の巨大なムカデと共に招かれざるお客さんですが、我が家も例外に非ず。
夜、部屋の照明の周りをブンブン飛び回り、なかなかうっとうしいです(笑)。
芦峅寺では、ヘクサンボが多い年はその冬の雪も多い、と言われていますが、今年はどうでしょうか。




11月5日
自宅近くの山にキノコ採りに入りますが、今秋はナメコが今一つ。
1時間ほどでナメコとムキタケ2sほどの収穫でした。

ナメコ

こちらはムキタケ


11月2日
仕事で室堂に通っています。
今年は山の積雪が遅いのですがようやく少し降雪があり、立山も冬の姿らしくなってきました。
ただ、新雪の下は岩がゴロゴロ、スキーで滑るのはちょっと厳しい状態です。


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